みほちゃんの羽衣村研修
<羽衣村の風土と歴史>1

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私のいる羽衣村は、『羽衣の松』のある三保の松原にあるのよ。えっ、三保の松原って、どこにあるかですって。日本海のどの辺りかって。やだー、知らないの。静岡県清水市にあるわ。清水湊の次郎長で有名なあの、清水。えー。次郎長ってだれだって。困ったわね。
今は清水エスパルスの方が有名かな。Jリーガーの川口選手、小野選手は清水にある清水商業高校の出身なのよ。三保はね、地形的には砂嘴と呼ばれる砂でできた小さな半島なの。丹後の天の橋立に似ているわ。富士山に向かって駿河湾に伸びた小さな半島。それが三保なの。
三保の半島が前に構え、駿河湾の荒波を和らげて三保が自然の防波堤になったから、清水湊は天然の良港として古くから栄えたわ。


日本書記にある『白村江の戦い』(663年)に出兵した庵原の君は古代清水を根拠地とした氏族でその頃から御穂神社は海の神だった。特に戦国時代からは武将の戦略の拠点として、今川氏が水軍をおいたり、甲斐の武田信玄は軍事基地として清水湊を重要視するようになる。やがて徳川家康は海上交通の拠点として巴川を中心に湊を大改築をしたから、江戸時代には江戸・大阪の物資輸送の中継基地として多くの廻船でにぎわい、文字通り海上の物流基地として飛躍的に発展したの。明治32年には開場港として認められ国際貿易港として生れかわったけど、三保の松原の内海を護岸として利用したから正直、三保の名勝としての魅力は半減ね。
今も、清水港は毎日外国の大きな船が行き来しているわ。次郎長さんって仁侠のイメージが強いけど、幕末から明治時代に湊の発展に尽くし、功績の高かった人なのよ。
それでは、三保の半島の姿をお見せしましょう。といってもこれは、江戸時代の三保。江尻から見た清水湊と三保の松原の風景。




江戸時代清水には江尻という宿場があったの。三保の松原っていう位だから、三保全体が松でおおわれていた事が分かってもらえるかしら。松の洲の嶋・松の洲浜っていう感じでしょう。三保は駿河湾にひゅっと突き出た半島だから、三保まで来なくても、昔は、対岸の清水湊や江尻からこの美しい松の洲の姿を楽しめたの。陸上からだけではなく、清水湊に行き来の船は海上からも楽しめたわ。いわば、江戸時代、三保の松原は、東海道五十三次・江尻の宿と清水湊の風物詩。海のむこうに見える松の洲浜の風景として、富士のお山と共に街道に風雅を添え、湊を演出して旅人の旅情をなぐさめていた。実際には三保まで訪れることがなくても、街道筋、どこからで見える海のむこうの夢の浮島だったというわけよ。