みほちゃんの羽衣村研修
天女の芸能
天女に会える芸能


みほちゃんの羽衣村研修
羽衣村の風土と歴史羽衣村の伝説(三保羽衣伝説)天女のアルバム天女の芸能

みほちゃんの羽衣村への誘い
羽衣村観光案内うまいもの・すぐれもの案内ウォーキングコーススポーツ情報

羽衣・天女交流ページ
羽衣村ニュース日本と世界の羽衣伝説羽衣村村民登録案内

能『羽衣』

能『羽衣』の上演がはじめて記録されたのは、天文十七年(1549年)山科言継という京都のお公家様の日記上。この頃までには『羽衣』は都で評判になっていた。言継は現地つまり三保にもやって来て、能『羽衣』ゆかりの松を確かめている。弘治三年(1557年)久能寺から三保に来て『羽衣の松』を見学。三保の貝島で貝拾い。御穂神社に一泊して宴会。翌朝、船で二里あまりを清見寺へ渡って船上で音曲を楽しむ。『羽衣の松』を見た時より、船上の富士の眺めに驚嘆して『遠景、言語に説くべからざるなり。』と記録している。言継卿の見た『羽衣の松』は初代のものと思われ、海中に沈んだと伝えられている。羽衣伝説を後々まで残すために村の人達が大事に二代三代の松を継承してきた。能『羽衣』は現在でも人気が高く、全国の能学堂でも上演回数が多いが、十月には、三保の松原でも『羽衣の松』前に特設舞台を設置、薪能『羽衣』が上演される。『羽衣の松』と駿河湾、バックに伊豆の山々を遠望出来る天然の舞台は世界一の野外劇場となる。
『羽衣』の他、吉野の天人伝説を題材にした『吉野天人』などがある。
             薪能『羽衣』  写真提供 堀上 謙 氏

東遊びの駿河舞

絵本『羽衣』にもあるように、天女の伝えたといわれる東遊びの『駿河舞』も雅楽として今に伝えられている。三保の松原でも一度上演されている。貞観三年(   )東大寺の大仏供養で演奏された『東舞』が東遊の事と考えられ室町中期にいったん中絶したが元禄七年(1694年)に再興された。現在、宮中の皇麗殿前庭や氷川・賀茂・春日大社のお祭りで見ることが出来る。清少納言も『枕草子』の中で、『舞は駿河舞』と書いているが『駿河舞』は都の貴族に人気が高く、同時にこの舞が、駿河の宇度浜天人によって伝えられたという伝説も平安貴族にとっては広く知られたものであった。ただし、舞人は近衛の姿の男性である。

五節の舞

 天女が降臨して天衣の袖を五度翻して舞ったといわれる伝説を持つ女舞。天つ風雲の通い路吹き閉じよ乙女の姿しばしとどめとうたわれたのは余りに有名。
羽衣の舞


三保の松原の中心『御穂神社』には『駿河舞』とも関連の深い、巫女舞『羽衣の舞』が古くから伝えられていている。御穂神社の祭典・十一月一日と二月十五日には神社舞殿で必ず奉納される。薪能『羽衣』の上演前にも羽衣の浜で舞われる。地元少女の舞なので、雅で美しい中にも、かわいらしさがあり、天女に出会ったような華やかさがある。

琉球舞踊・組踊『銘苅子』


琉球王朝では国王が代わるたびごとに中国からの使者(冊封子)を迎え、認証式が国家行事として執行われた。組踊はその際の歓迎の芸能として発達し、18世紀初頭天才的踊奉行・玉城朝薫によって完成した。沖縄の羽衣伝説を素材にした『銘苅子』はその代表作である。その様式は能・狂言からも影響を受けている。舞を舞ってかえっていった天女と異なり農夫との間に出来た一男一女の子供達との愛情の絆を描く。能『羽衣』とはまた異なる羽衣の物語を演出している。三保と沖縄との羽衣交流会の沖縄訪問の際、披露される。

歌舞伎 羽衣

延享二年(1745年)江戸中村座の新春狂言『羽衣寿曽我』宝歴八年(1758年)『木毎花相生鉢樹』宝歴三年『けいせい天の羽衣』などある。江戸歌舞伎ではもっぱら天人は傾城にみたれられ、『羽衣』は家の宝としてお家騒動の道具立てとして使われるのが常套である。『羽衣』のイメージも天衣より鳳凰の印象が強く、浮世絵にも鳳凰を形取った『羽衣』が多くみられ意匠として使われる。近年上演の機会は少ないが中村一門の『羽衣会』で上演されたこともあるようである。

タイ古典舞踊劇・マノーラ


マノーラ姫とストン王子の物語はもともとインドに伝えられた天女伝説。タイでは特に親しまれ劇や演劇となって伝えられている。マノーラは鳥の姿をした天女。マノーラの上演記録はスコータイ時代(1257年〜1354年)にはすでに見られる。
日本でもタイ国立舞踊団メンバーと秋元加代子タイ舞踊団メンバーによって国立劇場で上演されている。

韓国 摩尼山開天祭・仙女の舞


10月3日は檀君の古朝鮮建国の日に定められている。その日、暫白壇(江華島摩尼山の山頂にある方形の祭壇。檀君が天神への祭を行ったという)で祭天儀式を行い、八仙女ノ舞が献舞される。

写真提供 図説韓国の歴史 河出書房新社
金両基氏監修 姜徳相氏 ・鄭早苗氏・中山清隆氏編
中国 霓裳羽衣の舞

中国唐代の宮廷演舞の傑作のひとつ。天女の舞っているのを夢に見た玄宗肯定が作曲し寵愛する楊貴妃に躍らせたと伝えられる。西城からはいったものに玄宗肯定が手を加えたとも伝えられる。現在、西安で上演されているものが当時のものと同じかどうかはわからないが、白居易の長恨歌にも歌われた霓裳羽衣の曲は日本の古典の中では特に有名で謡曲「羽衣」にもこの言葉は使われている。
霓裳羽衣とは虹のように美しい裳裾のこと、あるいは天女の着衣のことをいう。




さあたくさんの天女に出会えて満足してくれたかな。
でもね、本当は羽衣の浜に立ち、潮風に身をまかせて、そっと目を閉じればきっとあなたの心の中にあなただけの天女がいるはずよ。
えっ、『僕の彼女が僕の天女だって。』ごちそう様。ごもっとも。
えっ、『私も天女のように美しくなるの。』ですって。理想は高くなくちゃね。